映画「パウロ」


久々の投稿です。
「パウロ」を観た直後にこれを書いてます。


私はトリニティに出会うまで…いや、トリニティに出会ってからも、「神」という存在を意識しておらず、キリストにも聖母マリアにもマグダラのマリアにも興味はありませんでした。

ただ、十字架や教会は好きで、幼い頃に布教活動していた信者の方から聖書をもらったことがあるくらい。

スピリチュアルが好きで、シータヒーリングと出会って「創造主」と繋がれるようになっても、「神」を意識することはなかった。

それは私の中の「神」とは何なのかが不明確で、自分が不幸な時は恨み、幸せな時は感謝する、都合のいい存在でしかなかったからかもしれない。



この映画は【信仰】とはなにか。
【奇跡】とはなにか。

とてもリアルに描いています。





比較的豊かで平和な時代、平和な日本で「神を信仰しています」と言っても、とても薄っぺらく感じてしまう。

これだけ迫害され、虐待され、虐殺されても神を、キリストを信じ続けるその根拠は何なのか???




キリストが数々の奇跡を起こしたから?
キリストが復活したから?



キリストは本当に復活したのか??



それが真実かどうか分からない。
キリストに会ったこともなければ見たこともない人達が、どうして命懸けで信仰し続けることができ、
2000年以上も続く巨大な宗教にまで発展したのか。



【奇跡】とは、病を治すとか、水をワインに変えるとか、魚やパンを増やすとか、出来事自体はどうでもよくて。
特別な何かがなくとも、その人が神の愛に気づき、信仰に目覚めることだ。


神なくして愛は語れない。





パウロがすごく大事なことを言っていたのですが、言葉として記憶できず…
上映期間内にもう一度観に行こうと思います。



開場時間まで余裕があったのでパンフレットの冒頭を読みました。

それだけでもう神の無条件の愛が溢れていて、目頭が熱く…
後程パンフレットをじっくり読みたいと思います(*´Д`*)


éveil〜生まれてきた理由・無条件の愛を生きたい人へ〜

あなたが抱く、ネガティブな感情・過去の後悔や罪悪感と未来への不安を考える思考・他者との分離によって感じる孤独感や不信感、無価値感も、 全ては無条件の愛を創り出すために体験することを意図された「アトラクション」だとしたら? どんなに幸せを求めても、幸せになったとしても一時的で、死んだら終わりな有限の命。 人に愛されるかどうか?人生が良くなった悪くなったと一喜一憂する生き方から卒業しませんか?

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